心を強くするメッセージ

あなたが別のあなたに変わるためのお手伝い

金の五教訓

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あなたが金に苦労するのは当然です。

人は金のいのち・働らき・目的を知りません。

ただ金を得ることと、金を使うことのみにしか関心がないからです。

金の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ、

とまずあなたの魂に語りかける事です。

金の道は正しく使われる事です。

正しく使われないから金の通る道がふさがれるのです。

そして、金の道筋を通りよくするには感謝です。

よからぬ事をした金に感謝は生まれてきません。

相手の怒りと憎しみと呪いとがその道筋をふさいでいるからです。

さあ、次の五訓をかたりかけることです。

①金の掟は完全であって魂を生き返らせ

②金の証は確かであって無学な者を賢くする

③金の諭しは正しくて心を喜ばせ

④金の戒めは混じりなくて混じりなくて眼を明らかにする

⑤金の審きは真実であってことごとく正しい。

 

この「教訓」があなたの中にあっていのちとなるとき、

目的がはっきりと判ります。


https://kokoro-singsong.com/lessons-of-money/


 

第二の天性を刈りとる

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思いをまけば行ないを刈りとり、行ないをまけば習慣をかりとり、

習慣をまけば天性を刈りとるようになります。

習慣は第二の天性です。コトがうまく運ばないと嘆く人がいますが、

第一の天性に第二の天性をプラスしないからです。

第二の天性とはまず早く起きること。

早起きの習慣をつくれない人は「天性」は望めません。

朝・起きられないのは「喜び」がないからです。

ああしよう・こうしよう・という一日の目標と計画が定まっていないからです。

計画は夢であり希望です。

希望は良き野心です。

野心が行動のエネルギー源となります。

良き良心は良き思いを注ぎ込むことです。

思いを蒔くこと、善い「種」えを蒔くこと、少しではなく豊かにです。

少ししか蒔かない者は少ししか刈りとれません。

豊かに蒔くことです。

早朝の習慣を豊かにまけば、目的の半分は達成したようなものです。

100倍の力がでます

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古来より人間の大問題は、非物質な心のでき事が、

物質である脳のニューロンとシナプスに、

なぜ作用するのだろうということです。

思いが言葉に、言葉が行動になっていくという、

この不思議を科学者も哲学者もいまだに解決できません。

コトバが「力」となることなど、科学では説明できません。

そのいい例が「火事場のバカ力」です。

常日頃、予想だにしない「力」がイザという時出るものです。

人生の「重荷」しかりです。

ハラを決めてそれを背負うと決心すれば、驚くほどの力がでます。

逃げの姿勢は力が分散します。

十の力が半分になり、更に半減します。

逆にその力が百・千となるには、背負いの法則に身をゆだねる事。

「人を助ける者は自からも助かる」

相手の重荷を背負ってあげることです。

脳は「愛」を理解できる物質です。

コトバに添うように・従うように、あらかじめ造られた恵みの器です。

相手への「愛」を大歓迎してくれます。

■ニューロンとは
まず、脳には数多くの神経細胞が存在していて、その結びつきによって情報が伝達されたり、記憶が定着したりします。              この役割を持つ神経細胞が『ニューロン』になります。
■シナプスとは
また、ニューロン同士の結合間に電気信号が送られることで、情報を伝達するのですがこの接合部にあるのが『シナプス』です。

慰められるのではなく「慰める」

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私は落胆しない。

たとえ、 私の「外」なる人は滅びても「内」なる人は日ごとに新しくされていく――

これは、進行性ガンに犯された老婦人が、毎朝「魂」に語りかける言葉です。

 これを心コトバと言います。

「心はいかなる艱難の中にいる時でも、わたしたちを慰めてくださり、

私たち自身もあらゆる艱難のなかにある人々を、

慰めることができるようにして下さるのである」

魂である肉細胞は、外界の不快状況に対しては、何の抵抗力も持ち得ません。

悲しい状況には涙を流し、苦しい状態には悲鳴をあげます。

不快を「快」に変える事はできません。

心細胞は悲しみの極みを、喜びの高みに押しあげてくれます。

あなたが「心」の存在を認め、それに畏敬を払わない故に、

その恵にあずかることができないだけです。

愛・喜・平安、あなたが虚しいと思われるコトバが、現実に生きたものとなります。

あなただけのタラントを

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タレントとはタラント(才能・天分)をもった人びとということです。

才能は天が与えるもの、また、努力によって勝ちとるもの、

とさまざまですが、要は自分の「モノ」をもっているかどうかです。

ТV・ラジオ・芸能界での活躍、また音楽・文学・絵画で異才を発揮するアーチスト…

さぞや、あなたの目には華やかにうつることでしょう。

しかし、ひとを羨やんではいけません。

周囲に気をとられると失望します。

他と比較すると絶望します。

他人はあなたに無いものを持ち、あなたも人にないものを持っています。

指紋が同じでないように、あなたも他人の人生と同じでないのは当然です。

この「当然」のことを思い違えるから、失望と絶望に陥るのです。

あなたのタラントを(良さ)を認めてくれる人生があるのです。

その人生を選びとるのが「あなた」です。

心に静かに語りかけ「答え」をまつ事です。

届かない「感謝」

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「美しいマナー」「美しい言葉づかい」の研修をうけたからといって、

言葉や行いが一変されるものではありません。

それは「心」コトバを持たない人が「有難うございます」の実習訓練を

しても、細胞が変わらない限り無理だということです。

いくら笑顔をつくっても、相手はそれを「偽者」だと見抜きます。

心が入っていないからです。

心は魂の奥に隠されています。

脳細胞が学習して得た人類語が魂コトバです。

その脳細胞に上から注ぎ込まれるのが心コトバです。

「私の心を全ての人に注ごう。心は人のいのちとなり、肉体となるからである」

自分の事のみを語るのが魂です。

心は相手の事に気配りをします。

相手のことを気にかけるとりなしの心を持っているからです。

「有難う」と本当に相手が思っているかを確認できるのも、

心が「とりなし」てくれるからです。

魂コトバは相手に届きません。

とどかない「ありがとう」は偽善です。

単純法則の勝利

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自然はある単純な性質のものが多数集まるとき、

それぞれの単純な性質からは考えられなかった、別の新しい性質を造り出します。

原子の集合がタンパク質や脂質などの高分子化合物を、

またその集合体が「生命」をつくりだすという宇宙理論は「学説」です。

私たちも単純法則を活用すべきです。

「望んでいることがらを確信し、まだ見ていない事実を確認する」

これは、自らのために大きなことを期待し、

自らのために大きなことを試みるための最高の法則です。

確信し・確認する……未来の既成事実を先どりする、

何という素晴らしい法則でしょう。

失敗や敗北という言葉はここにはありません。

ただあなたを強くしてくれる「力」

あなたの心に働きかけてその「願い」を起こし、実現にいたらせる「力」……

その力を単純に願うこと、素直に求めること、素直にうけいれること、

すなわち信じることです。

もう一人のあなたの「力」を……

まず聞いてあげること

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悩みの半分は、聞いてあげることによって解決されるものです。

あなた自身がまず聞いてあげる「耳」をもつことです。

 人はだれでも自分のことを第一に話したがります。

双方が自分のことばかり話したがるものですから、

お互い自我の衝突が・争いがおこりはじめます。

「なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである、

言葉の争いをしないように。

悪い言葉をいっさいあなたの口から出してはいけない。

必要があれば、人の徳を高めるために役立つような言葉を語って、

聞いている者の益となるようにしなさい」

――聞く耳のある人はききなさい、ほんとうの真心とは、

心から相手の話すことをきいてあげることです。

あなたが「聞く耳」をもってあげることです。

なまじっかな慰めの言葉をかけるよりも大いなる効果があるものです。

見えない「目」と聞こえない「耳」とをもたないように。

「なぜ」ではなく「どうするか」

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「なぜ」ではなく「どうするか」を私たちの生活・人生信条にしたいものです。

なぜ、苦しみがあるのか・なぜ、私だけが不幸なのか、なぜ、人は死ぬのか――

これは人間の理解を超えた事由であり、原因・結果も無限であり無窮なのです。

 したがって「なぜ」の究明だけに力を注ぎこむと、心身ともどもに

マイナス現象となり「どうするか」の方策に活路が開かれません。

「なぜ」は愚痴に通じます。不平・不満の塊がふくれ上がります。

そして、人をうらみ・世をうらみ・天地をのろいます。

さあ「どうするか」の力を貯えましょう。

「いま」をどうするか「あす」をどうするか「人生の終わり」をどうするか――

即・どうするか、の実践にはいりましょう。

それに必要なのは知恵と良識です。

知恵は畏れることであり、良識は心身の調和です。

それに感謝をつけ加えましょう。

感謝は疑問をひもどく道しるべでもあります。


 

アリの穴から土手は崩れる

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だれでも大きな試練には身構えますが、小さな誘惑にはつい気を許してしまいます。

昨夜の深酒も軽い気持ちで始めた一杯でしようが「いつぱい」になりましたね。

それは小さな誘惑に勝利しなかったからです。

人は誘惑に打ち勝つごとに少しづつ強くなり、つぎの誘惑に打ち勝つ力を得ます。

また、誘惑に負けるごとに少しづつ弱くなり、つぎの誘惑に全く負けてしまいます。

自制心とは筋肉みたいなものです。

それを強くするには絶えず鍛えなければなりません。

人生の悲・喜劇はこの法則のくりかえしです。

相手に勝つことが人生の闘いではありません。

最大の敵「自分」に打ち克つことが勝利者です。

大水をせきとめる高い堤防も、アリの小さな通り路が誘い水となり

亀裂となって大水が流れ出します。

深酒同様ほんの誘い酒が大トラとなり、とり返しのつかない嵐となります。

心にアリの穴・路をつくらないことです。

「タラ戦略」に惑わされない

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いまある力・いま持っているものを有効に使う、

「小」さいとか「弱い」とかに、思い煩らわないことです。

「何事も思い煩ってはならない」これは法則です。悪に打ち勝つためです。

 悪の戦略は「タラ」法則です。

「もしお金が入っタラ」「もし頭が良かっタラ」「もし美人だっタラ」

これは全て架空の条件に基く予定願望であり、期待願望です。

予定・未定を上手に編み出し、それがさも現実となりうるとの迷い・

惑わし・偽わりの力を送りこむのが、悪の常套手段です。

競輪・競馬・宝くじに類するものは、予定願望が先走り

「実現」することが当然のような、未定行動に陥しいれます。

この戦略にとらわれないことです。

それには大きなモノに魂を奪われないことです。

いま「持っているもの」「いまあるモノ」を大事にすること。

タラ戦略はまず怠け者の心に入ります。

「心」で齢をとろう

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人の年齢は三種類あります。

カレンダー年齢、生理年齢、心理年齢。

カレンダー・生理年齢は歳と共に老いていきます。

しかし、心の年齢は生き方によって、いつまでも若わかしく、

歳と関係なくその働きをなします。

「たとえ、わたしたちの外なる人は滅びても

        内なる人は日ごとに新しくされていく」

体細胞は老化現象をおこしますが、神経細胞はシナプスを活発に

することによって、いつまでも衰えをしらぬ新鮮細胞となります。

それには別の視線が必要だという事です。

「わたしたちは、見えるもにではなく見えないものに目を注ぐ。

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くものである」

滅びるものばかり見続けていると、見ている人自身もその世界にとどまります。

DNAは見えない世界から飛来した「見えないメッセージ」です。

このメッセージをひもどくことによって、心の年齢がさらにゆたかに増し加わります。

自我と個性とはちがう

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自我は私我とも言います。

自我は個性ではありません。

個性は「益」を生み出し、自我は損のみをもたらします。

人の私我は、「私が・私は・私に・私を」の四我です。

「あなたがそう言っても私はこう思う」

「なぜ私に言ってくれなかったの」

私の顔はどうなるんだ――すべてが私のメンツの世界です。

この「は」「が」「に」を無くすると、この世はまさに天国です。

さて、天国をつくるには、この、「は・が・に」の前に「あなた」をいれてみる事です。

あなたは・あなたが―何と快い響きの言葉でしょう。

ウラミ・ツラミも消え果てます。

相手も自分も持っていた「自我」が消え去ります。

双方の徳となる「個性」が育くまれ思いの徳が言葉の徳となり、

言葉の徳が行いの徳となり、双方の「得」となります。

最大の敵は自我です。

私我・四我を滅ぼし死の「我」を滅ぼしつくしましょう。

一番おそろしい「真理」

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一番怖ろしい「真理」……

それは、自分は「無知」であり「無能」であり「無力」であることを、

心から認めることです。

世の先達は、みなこの「真実」を会得した人々です。

無知であるから争わない・無能であるから戦わない・無力であるから無理強いをしない

自分の平安が相手の平安となる、ことをよく知った人々です。

これは「自我」という固い心を捨て去ることからはじまります。

捨てることは拾うことであり、与えることは与えられることであり、

赦すことは許されること、この奥義を会得した人々です。

たとえば「結婚」は相手のために自分を捨てる事であり、

「家庭」は子供のために、自分を与えることです。

自分を捨てないから離婚になり、自分を与えないから、家庭崩壊となります。

職場の人間関係も、あなたが許さないから、相手もゆるさないのです。

まず捨てること、状況は一変します。

コップの水を流すこと

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コップの水は満杯になると、それ以上入りません。

そのままにしておくと腐り出します。

腐らず絶えず流れを良くするには、とにかく溜めないことです。

ヒトの細胞も新陳代謝によって、人間を成長させていきます。

金・物・知恵・も流れをよくしてやることです。

自分だけのもにしようと思うから貧しくなるのです。

世にあるものは有限です。

有限に信頼をおくから、失望・絶望に堕ちるのです。

絶望は地獄、地獄は平安がないこと・安心がないことです。

つまり、自己本位だということです。

自己本位は天が最も忌み嫌うものです。

自己本位では幸せになれません。

幸せとは交わりあうことです。

まじわりが「平安」な人ほど、幸福だということです。

貧しさとは、貧乏になることではありません。

人・物・金があることが幸せなのではなく、その交わりが何をもたらすかです。

心が貧しくなると全てが腐りはじめます。