「なぜ」ではなく「どうするか」
「なぜ」ではなく「どうするか」を私たちの生活・人生信条にしたいものです。
なぜ、苦しみがあるのか・なぜ、私だけが不幸なのか、なぜ、人は死ぬのか――
これは人間の理解を超えた事由であり、原因・結果も無限であり無窮なのです。
したがって「なぜ」の究明だけに力を注ぎこむと、心身ともどもに
マイナス現象となり「どうするか」の方策に活路が開かれません。
「なぜ」は愚痴に通じます。不平・不満の塊がふくれ上がります。
そして、人をうらみ・世をうらみ・天地をのろいます。
さあ「どうするか」の力を貯えましょう。
「いま」をどうするか「あす」をどうするか「人生の終わり」をどうするか――
即・どうするか、の実践にはいりましょう。
それに必要なのは知恵と良識です。
知恵は畏れることであり、良識は心身の調和です。
それに感謝をつけ加えましょう。
感謝は疑問をひもどく道しるべでもあります。